
Tokiwa Eisuke
デザイナーが生み出すものはデザイナーにとってクレイジーではない

デザインとは「目的を達成するための手段作り」であり、Designの日本語訳は「設計」である。
服に対して「このデザインいいねー」と言うが、この場合は「装飾(Decoration)」のことを言っているのであって、デザインではない。
元々デザインは建築からきている。「住む人」がどんな間取りなら心地いいかを考えて設計する。
この「住む人の心地よさ」が常に「目的」になる。「住む人」も建築以外になれば、見る人、使う人となるだろう。
デザイナーは常に誰かに寄り添っているという意味でとても優しさがある。
デザイナーと相手以外の人から見たら、場合によっては設計した手段がクレイジーに見えるかもしれないが、その間には優しさが常に存在している。
第3者は当事者ではないため優しさが見えないかもしれないが、設計された手段から目的を逆算して導くことはできる。
「この広告は誰に何を伝えるために作られているのか?」、ゼクシィのCM
「このお菓子のパッケージは何を伝えようとしているのか?」、明治のチョコレート
「この神社はどんな想いを込められて作られたのか?」、伊勢神宮
「この車は誰のどんな用途のために作られているのか?」、4人乗り自動車
「この街は誰がどんな目的で配置したのか?」、京都の碁盤
1つ1つのデザインされたものが今度はお互いに刻々と関連しあっていく。
それはまさしくアーキテクチャ(architecture)である。
日本語訳ではよく「建築」とされるが、例えば街の中の聖堂や神社は、その建物だけで目的を達成しない。他の建物との関連性から初めて教育の場になったり、政治の場になったりもする。
この相互作用、時間とともに起きる変化がアーキテクチャである。
デザインするうえで常にデザイン後のアーキテクチャを考えなければいけない。それはテクノロジー、ビジネスモデル、ソーシャルインパクト、全て考えなければいけない。デザイナーは常に勉強が必要である。
近年はバイオアートやスペキュラティブデザインが生まれ、Airbnbを作った人たちはデザイン学生である。iPhoneやApple StoreからAppleがデザインの会社だと思う人も多いだろう。
弊社のスマートフォンも同じだが、正しくデザインされたものは一見地味でもある。傍から見ればクレイジーな完成品だろう。しかし彼らには目的から考えたら一番自然な美しい形なのである。
ただ見た目が美しいことではなく、目的から自然と生まれたことが美しいのである。
S.ジョブズのように物事に癇癪をおこすのは、中途半端なものをデザインした者に対する責任追及である。美しいことが当然だから、美しくないものが腹立たしいのだ。
中途半端なものは本当に誰かのために作っていないか、作ったけど勉強不足か、他人が作ったものを真似ただけなことが多い。競合を見て何かを作るのは本当に汚い。